昨年9月にドイツ3部リーグのアルメニア・アーヘンと契約した、村上範和選手。
ベンチに入ることもできず、全然試合に出れないなと思っていたら、
移籍の手続きで問題があったようです。
2013年度は活躍を期待しましょう!
<サッカー>南ア初の日本人プロ 村上、独3部アーヘンへ
南アフリカで初の日本人プロサッカー選手となったFW村上範和(31)がドイツに活躍の場を求め、3部のアーヘンと契約した。「いつかは欧州のトップリーグへ」と夢を抱く流浪のストライカーが、東南アジア、アフリカを経て新たなスタートラインに立った。
大阪で生まれ、横浜で育った村上がプロの一歩を踏み出したのはシンガポール。そこで実績を積んだ後、09年8月に南アフリカへ渡り、南アで開かれたワールドカップ(W杯)の熱狂を肌で感じながら11年6月まで同国最高峰のプレミアリーグでプレーした。現地では契約更新を打診されたが、少年時代からあこがれる欧州に挑戦することを決意した。
Jリーグでの経験や日本代表などの肩書がない村上にとって、欧州移籍は苦難の連続だった。11年8月にドイツに渡ったが、練習参加すらさせてもらえない日々が続き、「南アフリカでの評価は通じなかった」。契約を打診された4部のクラブは家族を養うには条件が見合わなかった。同11月、ドイツ西部デューレンを本拠地とするクラブと契約したが、夢の1部には遠い、8部のクラブだった。
はい上がるチャンスを狙い続けた。翌12年3月、カップ戦で4部のクラブを破る金星を挙げ、村上はアシストの活躍を見せる。6月にはデューレンの地域選抜の一員として当時2部のアーヘン戦に出場、そこでもアシストを決めた。
アーヘンは過去に1部で戦い、J1浦和レッズで選手、監督を務めた元ドイツ代表DFブッフバルトが監督を務めたこともある。2部から降格して迎えた今季は序盤から不振で、9月中旬に監督が交代した。新戦力が求められる中で村上はテスト参加を許され、「合格」を勝ち取る。アーヘン戦での活躍から3カ月がたっていた。この間、村上は家族の生活を支えようと、ドイツだけでなくインドにも渡ってプレーの場を探していた。
南ア協会からドイツに送られた国際移籍証明書の記載に誤りがあり、手続きに時間を要するトラブルにも見舞われる中、昨年12月にようやく登録が完了。今月12日、ドイツカップ予選で公式戦デビューを果たした。チームでは本来の最前線ではなく中盤に入ることが増えたが、16日には強豪レーバークーゼンの2軍との練習試合でゴールを奪い、途中からはセンターバックも任された。「ポジションはゴールから遠くなったが、点を取ってチームを2部に上げ、僕は1部に行きたい」。遠回りしても、変わらず夢を追い掛け続ける。【江連能弘】
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